35歳の頃の僕は、京都に住んでいて、ちょっとした哲学サークルの下仕事をしたりしていた。
その中心に、尊敬して止まないその人物がいた。後藤新平を祖父とし、鶴見祐輔を父とした哲学者鶴見俊輔である。
その人の、世の中に鋭く切り込む言動は、何気ない日々の中でも止むことはなく、知の巨人の一挙手一投足を間近で感じ取ることが出来た経験は、僕の人生にとってとても大きな財産となっている。
ただ、僕がその人を尊敬するに至った理由は、その鋭い洞察力と言語化能力に感動したからだけではなく、周囲の仲間を観察し、向いた作業や仕事を与え、やる気にさせる魔法のような一言を放ち、彼等の能力を最高値まで引き出す魔力を知ったからである。
若いときにその人に感化された方は、笑い話として、「ありもしない才能を褒められて、あれよあれよとここまでやり遂げる羽目になりました」と仰っていた。
そんな多くの埋もれた種に水と光を与え、数十年後には多くの門下生が社会の中心や周囲で積極的に活動をしている。
その人は、やはり知の巨人であり、最高の指導者であったと、僕の心に刻まれている。
その様な僕にとって、50歳過ぎの就職活動の気持ちの中には、気の置けない仲間と良い指導者に囲まれ、社会貢献をしたと思える仕事をしたいと言う強い気持ちがあった。
そんな中、人生が破滅しそうな状況で、身も心も力尽きそうなときに、とても幸運なことにルートエフ・データムの大庫代表に声をかけて頂いた。
拾う神ありである。
そして、大庫代表というリーダーに、鶴見俊輔と同じ香りを感じた。そして、一緒に働く仲間にも恵まれ、兎にも角にもみんなの力になりたいと思い、実務経験の少ない機械学習に悪戦苦闘しながらも、機械学習の何たるかを感じ取れるようになってきた。
深層学習もその原点に納得できるようになり、それと共に仕事の面白さも倍増した。
ただ、まだまだ先輩方の様に役に立つところには達していなく、逆に諸先輩方の手を煩わすことだけが一流のままである。
何か一つだけでもアイツに任せれば大丈夫と思われるようになりたい。
大庫代表に水と光を貰ったモヤシは、もうモヤシでは居られない。
s.katagiri